8月10日。
若葉町の横浜パラダイス会館。
ちょくちょく顔を出してますが、このブログで話題にするのは
このとき以来かな?
かつては、横浜の伊勢佐木町には、松屋、野沢屋、松喜屋という、
3つのデパートがあったそうです。
野沢屋は、後の横浜松坂屋(「ゆず」で有名ですね)の前身でしたが、2008年に閉店。
松屋は、
Wikiによると1977年に閉店。
松喜屋は、もっと早く1968年にデパートからGMS(総合スーパー)に業態変更。
今はもう、伊勢佐木町にデパートはありません。
しかし、松喜屋の建物そのものは、業態を変えながら存在し続けていました。
伊勢佐木町のスーパー「ピアゴ」です。
でも、その建物も間もなく取り壊しになってしまうそうです。
老朽化、というか耐震性能の問題なのか?
という背景で、間もなく建て替えられる「元・松喜屋」の「ピアゴ」の建物を、
地元の一級建築士のガイドの下、「旧規格のコンクリート建築萌え目線」で巡るという、
ニッチな企画に参加したのです(ニッチ過ぎだろ)。
参加者は男性ばかりですが、大学生とかおじさんとか年齢層はまぁまぁ広め。
なぜか、北欧(ノルウェーって言ってたかな?)の大学院生も居ます。
まずは、横浜パラダイス会館で座学。
本記事のトップ画像は、ホワイトボードを使った独特なフロア配置についての説明。
エレベータを囲むようにゆったりと配置された階段室が特徴的なんだそうです。
歴史を遡ると、東京オリンピック開催に合わせて1967年に建築基準法が変わり、
コンクリート建築の設計の自由度が大きく制限されてしまったそうです。
しかしこの建物はそれ以前の設計・施工なので、
今ではあまり見られない構造が多く残っているとの事。
とりうわけで座学を終えて移動です。ピアゴに到着。
横浜パラダイス会館からは歩いてすぐ。

まずは、建物の外観を見て回ります。かつて使われていたであろう、商品搬入口。
シャッターに排気口が後付けされているので、このシャッターは開閉不能との事。

構造の継ぎ目。記録が定かでは無い部分も多いそうですが、
この建物はかなり増築を繰り返しているそうです。

伊勢佐木モールに面した、建物の正面入り口にやってきました。
2階の窓のフレームが、3階以上の階の窓より古い。

店内に入ります。どう見ても我々団体は怪しいです。
シャッター用の溝が切られたエスカレータ。

さっきの座学でも説明してましたが、
エレベータを囲むように階段室をレイアウトした為、
2機のエレベータの間に太い柱を置かざるを得なくなったとの事。
片方の扉の前でエレベータの到着を待っていると、
柱が影になって隣のエレベータの到着に気づかない罠。

階段室。各ステップがゆったりしています。

手すりのディテール。
手すり端面が270度の弧を描いて壁面に接する加工が泣かせます。

ラウンドした幅木。
壁面の曲面に沿っているので、この形は工場でプレ加工したものではなく、
現場で職人が切削加工したものだそうです。
現在では、切削ゴミが出るのが嫌われるのと、工期短縮の為、
この手法はほとんど採用されないそうです。

柱と梁の接合部のC面形状。
これも同様に加工が面倒との事で、最近の建物では見られないディテールだそうです。

さて今回の建物探検企画ですが、特にお店側に許可とか取っておらず、
気付いたら、怪しすぎる我々集団にガードマンのおじさんが専属配備されました(爆)。
このガードマンのおじさんは横浜生まれ横浜育ちの人で、
建物の過去の歴史とかについてお話しいただくことができました。
この建物は、確かに増築を繰り返しているものの、ベースとなったフロアは、
昭和27 or 28年築では?という話も聞けました。
ちょうどこの地域の米軍の接収解除直後の頃のようです。
そして屋上に繋がる階段。昭和すぎるパネルが胸を打ちます。

「ユニー」の前身の「ほていや」として営業していた頃のパネル。
伊豆半島が妙にデカい。

東海地方を中心に、22店舗展開していたのですね。
豊橋と名古屋の間にある4店舗の地名のラベルが剥がされています。
地図プロットフェチとしては気になります。
位置的に、知立市とか日進市とか春日井市あたりでしょうか?
屋上に遊園地があった頃の看板。
現在の航空写真では、屋上に遊具の片鱗らしきものも見当たりません。

という訳で、謎の高揚感とともにこの探検企画も閉幕。サクっと解散です。
その後、イスチさんはピアゴ一階の食品フロアでお買い物。
鮮魚売り場を物色。激安あさりを購入。0.0197諭吉。安っ。

砂だしちう。。。

あさりとワカメの酒蒸し。おいしゅうございました。
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