イスチの減速するブログ
カングースタイル(仮)
たった9分の映画。
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5月7日。


「木村さん」という映画を観た(映画というより映像作品かもしれない)。
高嶺格(たかみね ただす)さんという現代美術家による作品。
高嶺さんは、ダムタイプというアーティストグループの出身だそうだ。


上映前に、前日にnitehi worksで観た「むせかえる世界」の砂山典子さんと、
(砂山さんも同じくダムタイプ出身者で、木村さんとも関わりが深い)
同じく前日にお邪魔した横浜パラダイス会館でカウンターに立っていた蔭山ヅルさんの
トークショーがあるというのも興味を引かれるところ。
(ちなみに高嶺さんはイギリスでの個展期間中で来られなかったそうだ)


これ↓は、今年の3月まで横浜美術館で行われていて、
イスチも平日の昼休みに無理やり時間を作ってチラ見した、
高嶺格さんの個展「とおくてよくみえない」のチラシ。
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「とおくてよくみえない」を観たときには全く知らなかったエピソードなのですが、
この個展で「木村さん」も上映することが予定されていたものの、
開催直前で公開中止になったという経緯があったそうです。


公開中止の主な理由は、「猥褻にあたる」と判断されたから、であると思います。
その辺の経緯は、こちらのリンク先を読んでもらえれば分ると思いますが、
この映画には、障害者の射精介助のシーンがあります。


森永ヒ素ミルクの被害により身体に障害(脳性まひ)を負った木村さんを、
高嶺格さんが五年間介護を続けた頃に撮影した映像が基になっていて、
そこにいくつかの映像のカットアップを織り交ぜつつ、高嶺さん自身の
やや拙い英語で「コミュニケーション」について問いかける構成。


最後は、射精した木村さんの高笑いのシーンで終わる。


解説のチラシを読んだ。
高嶺さんの言葉に「障害者は価値に対するカウンターである」、
「木村さんと僕のコミュニケーションは、ほぼ僕の想像力に依存している」、と。


ようつべでこんな映像も見つけた。
最近何かと話題のNPO法人「ホワイトハンズ」を取り上げたニュース映像ですな。



ふたたび解説のチラシから。長めに引用させて頂く。


しかし僕は知っている。「障害者」という言葉を聞いた時にほとんどの人が見せる、とってつけたような深刻ぶった表情を。「障害者」ときいた途端、人はあわてて、マリア像顔負けの慈悲のマスクを、急いで顔にはりつける。そうして、襟を正して「聞く」姿勢に入る。自分だけは味方だと言わんばかりに、おおげさに相槌を打ったり、丁寧にうなずいたりするだろう。ところが実際には、その憐れみのマスクとは、障害者という存在が自分の中に必要以上に入ってくるのを防ぐ、バリアの機能を果たしている。自分がその問題に巻き込まれないための、自衛の手段なのだ。実際、このとき彼らは話を聞いていない。彼らは、自分が障害者かもしれないなどと想像したことすらない。皮肉な事に、おおかたの人間は、人生における悩みを抱えている。その悩みとは、価値のシステムの中での個人の能力に関するものがほとんどであるにも関わらず、それが「障害を持つ者」と結び付けて考えられる事は、ほとんどない。「憐れむべき絶対的他者」として無意識的に隔離されてきたのだ。


私は現在、この「マスク」に助けられて生きている。
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